DAY55 2018.1.7 ルクソール→カイロ

今日は1日ルクソール巡りの日です。

迎えが来ない!ハイエースに19人!!

現地旅行会社の車が時間になっても現れません。現地スタッフも電話したりしながら少しヤキモキしていました。結局、40分ぐらい遅れてやってきました。そしたら車(ハイエース)にはなんとドライバーやガイドを含めて先客17人がすし詰め。あちこちのホテルを回ってから来たのでしょう。これでは遅れるはずです。ホテルはチェック・アウト済で現地係員の指示で荷物は預けていませんから車に積み込みですが、当然場所はありません。屋根の上です。私が最後かと思ったのですが、さらに走ること10分、15分。もう一人をピック・アップ。最終的には観光客17名(大人14名+子ども3名)、ドライバー1名、ガイド1名の合計19名がハイエースに乗りました。私も含めて、みなさん、あきれてました。ちょっと詰め込みすぎです。それにしてもハイエース、すごすぎます。

ルクソール(Luxor)

ルクソールは、古代エジプトの時代にはテーベと呼ばれ都だったところです。そのため数多くの遺跡が残っていますが、ナイル川の東岸はカルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物があったことから「生者の都」と呼ばれ、西岸には王家の谷や王妃の谷など死を象徴する場所があったことから「死者の町」と呼ばれるそうです。「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産にも登録されています。

ルクソールはこうした遺跡が数多く残っていることから世界中の観光客が訪れ観光が街の経済を支えているようです。私が乗ったハイエースを見ても、多国籍でしたし詰め込み具合からもそれがわかるような気がします。それだけに1997年のハトシェプスト女王葬祭殿で起きた外国人観光客を狙ったテロは地元経済にとっては大きな打撃だったようです。

メムノンの巨像(Colossi of Memnon)

今はもう聞こえない巨像が発するうめき声

ここに立ち寄ると聞いていたのですが、ピック・アップに時間がかかったためか、車で横を通過しただけ。いわゆる車窓観光でした。

車窓からのメムノンの巨像

かつて存在したアメンヘテプ3世の葬祭殿。その入り口にあたるところにこの巨像があります。向かって右側の像は、紀元前27年の地震でひびが入り傷んだようです。そのためか夜明けにうめき声や口笛のような音が聞こえるようになったといいます(湿度などの関係で音が出たらしいです)。それを聞きに当時の偉い人がいっぱい来て巨像の台座に署名をしていったとか。今も昔も変わらないものです。修復されてからは音は聞こえなくなったそうです。

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メディネト・ハブ(Medinet Habu:ラムセス3世葬祭殿・Mortuary Temple of Ramses Ⅲ)

保存状態が良い葬祭殿

紀元前2世紀頃のラムセス3世の葬祭殿。ラムセス2世を敬愛していた3世がラムセス2世の葬祭殿・ラムセウムをまねて作ったとか。ここは保存状態が良いと言われていますが、確かに色が比較的残っているレリーフなどがありました。レリーフのテーマはラムセス3世の活躍を描く戦争のものが多いと聞きました。

王家の谷(The Valley of The King)

ツタンカーメンをはじめ王の墓が集中している谷

古代エジプトの新王国時代の王の墓が集中している王家の谷。現在まで64の墓が発見されていますが、大部分は盗掘されていたそうです。唯一、未盗掘だったのは1922年に発見された超有名なツタンカーメンの墓。副葬品はカイロのエジプト考古学博物館で見ることができました。

ここは基本的に撮影禁止でカメラも預けるのですが、カメラ・チケットを買えば、外はうつしても大丈夫ということでした。王墓内はカメラ券があってもダメだとガイドさんにいわれたのですが、一説には大丈夫という話もあり…。どちらなんでしょうか?カメラ券の有無にかかわらず、バクシーシのパワーは発揮できそうでした。

ここで入場券で3か所の王墓に入れたのですが、ツタンカーメンの王墓は別料金でした。どうせなら見たかったのですが、ツアーの都合で仕方がありません。残念です。

アラベスターの土産物屋さん

現地ツアーのお約束、土産物屋さんです。アラベスターの土産物を売っているところに連れていかれました。興味はないので外で待ってましたが、購入している人もいました。

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ハトシェプスト女王葬祭殿(Mortuary Temple of Hatshepsut)

設計がユニークな古代エジプト唯一の女王の葬祭殿

古代エジプトただ一人の女王ハトシェプストが紀元前1500年頃に造営した葬祭殿。

ここはとても状態が良いと思えたのですが、保存・修復工事が行われたのでしょうか。また、他の葬祭殿や神殿などとは、横長であることなども含めて設計が違っていて独自性が高いような気がしました。

ここで忘れてならないのは、凄惨なテロ事件の現場になったということ。1997年のことです。日本人10名を含む62名の命が失われました。テロをする側には彼らなりの大義があるのかもしれませんが、だからと言って人の命を奪うことを正当化できるとは思えません。

昼食

ハトシェプスト女王葬祭殿で大部分の人は解散。昨日午後に東岸を見て、今日は西岸だったようです。

どうりで和気あいあいでした。若い人が多かったせいかなと思っていたのですが、それだけではなかったのですね。若い皆さんはフェイスブックで記念写真を交換しようとしていました。昼食は別料金。旅行会社の提携先でしたのでコスト・パフォーマンスは良くはなかったですが、おなかはいっぱいになりました。

渡し船でナイルを渡る

渡し船でナイル川西岸から東岸に渡りました。観光客用ではない地元の人が使う渡し船です。なかなか雰囲気があって良かったです。

居残りは結局2名、それに今日の午後から参加の人が3名。ピック・アップにまた時間がかかりました。

午後は、といってもだいぶ遅い時間になっていますが、東岸「生者の都」にある神殿を見学します。カルナック神殿からです。

カルナック神殿(Temples of Karnak)

古代テーベの広大にして中心的な神殿

カルナック神殿は神殿の複合体で、とても広大です。これは歴代の王が次々と神殿などを建造した結果だそうです。中心はアメン大神殿で、ここは公開されていますが、未公開のところも多いようです。そのアメン大神殿は、古都テーベの中心的な三神(アメン、ムト、コンス)のうち最高神であるアメンにささげられた神殿。建設時期は中王国時代にさかのぼるようですが、新王国時代のアメンホテプ1世、トトメス1世、セティ1世、ラムセス2世などどこかで聞いたことがあるような有名な王(ファラオ)などによって増改築されたようです。

崩れてしまっているところも多かったのですが、副殿のルクソール神殿と結ぶスフィンクスの参道は神殿という場所であることを否が応でも感じさせるものでしたし、巨大な列柱が数多く並ぶさまは、美しさと迫力がありました。

ルクソール神殿(Luxor Temple)

保存状態が良いカルナック神殿の副殿

ルクソール神殿は、もともとはカルナック神殿の副殿で、スフィンクスの参道でつながっていたそうです。現在見ることができるところの多くは、アメンホテプ3世(紀元前1390-紀元前1352頃)とラムセス2世(紀元前1279-紀元前1213年頃)の二人の王(ファラオ)により建設されたものということです。入り口のところのオベリスクは本来2本あったようですが、1本はフランスに送られ、現在、パリのコンコルド広場に立っています。先日、コンコルド広場も見ましたので、ちょっと不思議な感じがしました。カルナック神殿よりも保存状態が良いように思いました。もしかしたら修復復元工事が行われたのかもしれませんね。

ここも列柱が美しかったです。特にライトアップされた時は、より美しく見え数も多かったので圧巻でした。

カイロへ夜行で戻る

ルクソール駅まで送ってもらい解散です。鉄道でカイロに戻ります。

現地スタッフと合流しチケットを受け取り席まで案内してもらいました。帰りは来る時と違って2等の普通席です(ほんとうは1等の普通席のはずだったのですが、AC2と書いてあったので勘違いでなければ2等席です)。18:20発で約10時間ぐらいかかるということでした。

2等普通席でも席自体はまったく問題ありませんでした。ただ位置が悪かったです。私が座った車両は客車としては先頭車両だったと思うのですが、前の車両との連結部(デッキ)のところでタバコを吸って良いらしく、タバコの煙がかなり流れ込んできました。元はヘビー・スモーカーだったのですが、今はきっぱりやめているので、煙がかなりつらかったです。おまけに席が通路側で入れ替わり立ち代わり人が横を通るので、落ち着かないことこの上もありません…。エジプト南部への現地ツアーはそれなりにタイトだったので、少し疲れていたと思うのですが、あまり眠ることもできませんでした。

今日の歩数:15,215歩  世界一周はあと25日