50代半ばで世界一周することの意味を考えたくなります。
でも50代の旅だからということに特別な意味なんかないような気がします。しいていうなら、定年後の人生に向けた準備とかになるのかもしれませんが、私の場合、それはあてはまらないと思います。
あてのない放浪的な旅には適齢期があるという人もいます。先入観や色に染まっていない分、素直に感じ受け入れることができるのは若者の傾向といって差し支えないでしょうから、感じるものや見える風景も違うでしょう。やり直しのしやすさ、時間、体力、気力なども若い方が有利です。ですので、適齢期=若者というのも理解できます。
もし自分が20代や30代だったら、バックパッカーとして世界を1、2年放浪するような貧乏旅行もできたかもしれません。若い人の中には、「深夜特急」に憧れたり、憧れるかどうかは別にしてもそのような旅をする人も珍しくはないと思います。
でも一方で思い立ったが吉日ではないですが、旅に出たいと思った時が適齢期というようにも思います。感じるものや見える風景は違うかもしれませんが、それはそれだと思いますし、過去に戻れるわけでもないですし。
それに今まで培ってきた人生経験を踏まえて世界のいろいろなものを見ることができます。若い時には見えないもの、見過ごしてしまうものも見ることができるでしょう。まだまだ新しいものも受け入れることができます。旅で得られたことをこれから30年ぐらいの人生に生かすこともできます。それが50代だと思います。
もちろん、これらは「良く言えば」の一般論で、そう信じたいという気持ちが大きいです。今までの人生経験がゆえに素直に受け入れられなかったり目が曇ってしまっていることも少なくないでしょう。それにそもそも今回の旅が放浪的な旅かというとそうではないと思いますし。
もう一つ付け加えるなら、旅の経験によっても50代の旅の違いはあるように思います。旅をいっぱいし経験を積み旅慣れているのであれば旅で得られるもの、体験できること、見える風景などが充実させることができるのかもしれません。しかし私は若い時から旅をしてきて、様々な体験・経験を積んではきていませんので、そこを嘆いても詮無いことです。
ともかく大げさに考えることなく、肩ひじ張ることなく等身大で世界(の一部)を見てくるというのが、50代の今の自分にできることで、そういう旅だったと思います。