なぜ若くもない50代も半ばになり世界一周をしようと思ったのでしょう?
単純に言ってしまえば、小さな頃からの憧れを実現できる状況にあり、このタイミングを逃したら、個別にいろいろな国や地域に行くことはできても、バックパックを背負って「世界一周」のようなことはなかなかできないだろうなって思ったからです。もちろんお金があるシニアであれば豪華な世界一周の船旅などもできるでしょう。しかし、自分がそうなるとはとても思えません。また、そういう旅とは見える風景も違うと思います。
実現できる状況とは、お金と時間と環境です。
ファーストクラスとかビジネスクラスを使って高級ホテルに泊まり高級レストランで食事、現地ではガイドを雇って車をチャーターするような旅をすれば、かなりの金額が必要でしょう。しかし、エコノミークラスを使い、現地の公共交通機関や地元の方が普段使うような交通機関で移動しながらなるべく自分の足を使って歩き回り、安めのホテルに泊まり現地の人がふだん食べに行くようなところで食事すれば、日本で暮らしているのと極端に違いはないのではないでしょうか。そう考えるといっぱいはない貯金で、老後を考えるととても不安な額ですが、どうにかなるのではと楽観的に考えました。
時間はいっぱいありました。9月末までは仕事の契約がありましたが、10月以降は未定でした。実のところ、本格的に世界一周しようかと考えはじめたのは10月になってからで実際に出発するまで1か月強ぐらいでした。
自分の状況も自分をとりまく環境もできる状態にありました。
まず自分の健康というか体力と気力です。長期の旅をするには不可欠でしょう。過信は禁物ですが、幸い年齢の割には肉体的にも精神的にも元気な方だと思います。これから先、普通に考えると、体力も気力も加齢とともに落ちていくでしょう。そう考えると、今が最後ではないかもしれないですが、貴重なチャンスであることは間違いがないように思えました。
ひとり身の気楽さもありました。子どもが受験で大変だとか奥さんとの関係があるとかに悩むことはありません。守りたい家族、守らなければならない家族がないのは、それはそれで悲しく残念なことではありますが…。
しかし、両親のことは気になりました。だいぶ老いてきています。ただ、ありがたいことに寝たきりとか介護が必要な状態ではなく、あちこち大変そうですが、元気でいてくれています。いつまでも元気でいてほしいと思うものの、残念ですがこれから先、そうである可能性は低くなっていくのが現実でしょう。そう考えると、“今”がラストチャンスのように感じられました。もちろん何かあったら、旅を切り上げ日本に帰国するつもりでした。
そうです、「なんかあったら旅を切り上げ日本に帰る」。このゆるさが後押ししました。この考えがなくてガチガチに考えていたら出発できなかったでしょう。正直なところ、不安と心配だらけで、やめる理由を出発のその時までずっと探していたぐらいですから。
それから、友人知人の死にもどこかしら影響されたようにも思います。この年齢になってくると、友人や知人が亡くなったという知らせを受けることがあります。死んでしまったらできないのだから、やりたいことをやっておくという、ある意味、刹那的な考え方もあったと思います。
そして、大きく背中を押したのは、「“しなかった時の後悔”と“した時の後悔”を比べたら、“しなかった時の後悔”が大きく、しかもずっと残る」というものです。
保険か何かのコマーシャルで見たような気がするのですが「しなかった後悔>した後悔」という心理学の研究があるようです。調べてみると、この考え方は、格言とか名言としていろいろと残っているようです。
少し冗談っぽい話ですが、後押しは、旅のルートづくりのもとになった小説にもありました。
ルートを考えるにあたっては、ジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」をテーマとしましたが、その中で横浜に立ち寄っています。この横浜を出発したのが、小説上では1872年11月14日。世界一周を考えたのは10月でしたから、小説の横浜出発日を知った時は“運命”を感じました。もう11月14日に日本を出発するしかない!と。
旅を終えた今考えてみると、失ったものもあるけど行って良かったと思います。“しなかった後悔”より“した後悔”の方がずっとマシだと思います。少しの勇気を出して行って良かったと思います。