マカオには、22の歴史的建築物と8カ所の広場から成り立つ世界遺産「マカオ歴史地区」があります。このうちのいくつかを見て回りました。まずは「マカオ」の名前の由来になったという「媽閣廟」から。
媽閣廟(Templo de A-Má)
海の守り神「阿媽」を祀るマカオで一番古い中国寺院。創建はマカオの街ができる前、15世紀にさかのぼるとか。地元の方か観光客かはわかりませんがすごく賑わっていました。境内には「百年夫妻樹」という、どうやら夫婦円満か良縁成就の願いをかけるところがありました。また、こちらが本場なのでしょうけど、沖縄で良く見る「石敢當」もありました。
海の守り神を祀る寺院があるからだと思いますが、すぐ近くに海事博物館がありました。残念ながら休館でした。
民政総署(Edificio do Leal Senedo)
この建物は現役の役所として機能していますが、建築は1784年のことだそうです。「レアル・セナド」(忠誠なる評議会)というのは、「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」という1654年のポルトガル王による言葉に由来するといいます。ここも旧正月の飾り付けがありました。
セナド広場(Largo do Senado)
ここは、マカオの中心にある広場で様々なイベントなどが行われるそうです。地面のタイルと旧正月の飾り付けが印象的でした。この広場に面して民政総署や仁慈堂もあり、広場の周りの建物に歴史を感じます。“senado”(セナド)はポルトガル語で「議会」「上院」などの意味。きっと民政総署に面しているので、名づけられたのすね。
聖ドミニコ教会(Igreja de S.Domingos)
ドミニコ会のスペイン人修道士によって1587年に建てられた教会。シンプルな祈りの場という印象です。小さいですがとてもきれいな宝物庫=宝物宗教美術館 (Treasure of Sacred Art Museum) がありました。
マカオ博物館(Museu de Macau )
「モンテの砦」のところにあるマカオ博物館。開館は1998年4月の歴史民俗系博物館です。
展示手法は現代的なもので、実物資料の展示に加えて空間再現やジオラマ、映像などを活用しわかりやすく伝える工夫がなされていました。規模は大きくはないので、わりと短時間で一通り鑑賞することができると思います。
モンテの砦(Fortaleza do Monte)
マカオが一望できる砦です。ここからの眺めを見ると重要なマカオの軍事・防衛拠点だったことが確かにわかります。1617年から1626年にかけて建築されたようです。砦内には展示室も設けられていました。ここまで来るのがちょっと大変でしたが、来たかいがありました。
聖ポール天主堂跡(Ruínas de S. Paulo)
マカオのイメージ、シンボルといえばここでしょう。ファサードだけしか残っていませんが、それだけにインパクトがあります。この天主堂は1640年に完成したようですが、1835年に火事で大部分が焼失してしまったとか。残ったのがあのファサード。このファサードの彫刻は、日本を追放された日本人キリスト教徒の職人と現地の職人によるものらしいです。地下には納骨堂や宝物庫がありました。観光客でとても賑わっていました。やはりマカオNo.1のツーリスト・スポット!
仁慈堂(Santa Casa da Misericórdia)
仁慈堂は、医療・慈善福祉活動の拠点として1569年に初代のマカオ司教・カルネイロ司教によって作られた施設です。内部は展示室になっています。また、2階からはセナド広場が良く見えました。
博物館1か所と世界遺産7か所を巡り、あまり遅くならないうちに香港に移動することにしました。
香港へフェリーで
香港へはフェリーです。マカオ側にも香港側にもそれぞれ2か所のターミナルがあるので注意が必要です。来た時とは違う外港(アウター・ハーバー)にバスで行き、九龍(クーロン)半島側の港に着くフェリーにしました。小一時間ぐらい待ちましたが、運行本数はわりとあります。もちろん事前に調べておいた方がいいです。フェリーはおよそ1時間で香港の九龍に到着。ホテルまで歩きました。
今日のホテルは雑居ビルに入っています。安宿もいくつか入っています。ちょっと困ったのは2基あるエレベータの1基が動いておらずいつも行列ができていることです。エレベータ待ちでけっこう時間がかかりました。ホテルはまったく英語が通じません。これほどまで通じないのかというぐらい簡単な単語もダメでした。でもやさしそうなおばさんの身振り手振りの説明でどうにか。
食事がてら外を少し歩きましたが、今日は早めに休むことにしました。
今日の歩数:-歩(アプリ起動忘れ) 世界一周はあと7日